働きはじめたら自由がつかめるのかな

 3月15日のこと。

 日曜の良く晴れた朝の九時から、家にトイレ修理のおじさんが来た。うちのトイレは蓋が自動で開くようになっているのだが、先日停電した際に何らかの不具合で壊れてしまった。故障を発見したのは私だった。トイレの蓋を開けるとビデが勢いよく噴射し、パジャマを豪快に濡らしたのをよく覚えている。

 おじさんは「部品を買いに行く」と途中で消えたりして、二時間くらいと説明されていた所要時間を大幅に超えて4時間ほど作業に取り掛かっていた。

 ようやく修理が終わったと報告を受けて母が様子を見に行くと、おじさんはバツが悪そうな顔していたという。便座の本体と蓋の色があまりに異なるのだ。思わず考え込む母に、おじさんはまた便座を付け替えようと提案してくれた。便座の価格は6万円。「自分の家で使うから」と言ってくれたらしい。それだとあまりに可哀そうだったので、代わりに別のトイレの改修をお願いすることにしたらしい。結局、新しい蓋を取り外して元の蓋を装着し直した。

 おじさんが帰った後にその一連の流れを聞いて、胸が痛くなった。たぶん、要領は悪いけど人がいいおじさんなのだろう。春の日差しを感じさせる日曜日の朝一から、昼ごはんも食べずに作業した結果がこれだ。私も不器用な人間だから、おじさんの心境を自分の事のように感じられた。

 まだアルバイトしかやったことないけれど、働くって大変だよな。人徳だけじゃどうにもならない。

 

 その後、母親と就職のためにスーツを買いに出かけた。会社の人事からパンツスタイルが望ましいと言われていたため、スカートには目もくれずに物色した。試着すると、自分の下半身太りと低身長短足体型に目を背けたくなった。もちろんパンツの裾のお直しは必須である。

 スーツ二着とブラウス二着、ベルトを買ってもらった。けっこうな出費だ。

 母さん、ありがとう。

 私は反対を振り切って自分の行きたいところへ勝手に内定を決めたため、父親はそれはそれは憤慨した。もちろん、就職や新生活にかかる費用は一切援助してもらえなかった。

 「とっくに成人してるのに、自分の就職について何が親の意見だよ」と思う方もいるかもしれないが、私の場合は難しかった。就職の報告をしてから今に至るまで、ほんとうにたくさんの人を巻き込んでの苦悩があった。思い返すだけで呼吸が浅くなる。今もまだ渦中だけれど、経済的に自立できる日が近づいている希望に支えられている。

 父親から受けた理不尽や発達障害の双子の弟へのストレスを、つい母親にぶつけてしまうことがある。

 「あのときああしてくれていれば」「私ばっかり我慢してきた」

 正直、今も昇華しきれていないことは山ほどあるし、考えないようにしていても毎日苦しい。

 働いたら自由がつかめるのかな。まだあんまり想像できないけれど、お給料を頂いたら母親をはじめとする家族に感謝の気持ちを伝えたい。