ひな祭りは誰のための日?

 昨日の悪天候の手の平を返すような晴天で、ちょっと遠回りして外を歩いてみたくなる。風が吹きつけるたびに冷たくて首をすくめてしまうが、日差しは暖かい。

 ケーキ屋の前を通ると、駐車場に誘導員の姿を見かけた。車が込み合っている。そうか、今日は3月3日、雛祭りだ。女の子のいる家庭では、食卓にケーキを並べてお祝いするのかもしれない。微笑ましいことだ。

 

  私は今年25歳になる。アラサーと呼ばれる年齢に突入するわけだが、まだ学生であるせいかそんなに現実味がない。ただ、もう自分を「女の子」とは自称できないな、と思う。ミニ丈のフレアなワンピースやポニーテルのリボン、青みピンクのリップ…などから卒業していかなければならない。

 「自分は自分だし年齢なんて関係ない。好きな洋服やメイクでおしゃれして自分らしくあるべきだ」という主張もある。全くもってその通りだと思う。ただし、現状でそれが叶うのは特別な人だと思う。可愛かったり、人から尊敬される才能があったり、人の目を気にしない強さがあったり…。「あの人は自分たちが図れる存在ではないな」という世間一般の枠から抜けた存在であると認識してもらわなければならない。「ふつう」の尺度が通用しない特別であると。

 私は凡人だし、人と違うことして拒絶されたり嘲笑されたりするのが怖い。だから人から理解され得る枠の中に収まっていたい。

 

 

特別な女の子たち

 

 TUTAYA二階堂奥歯の『八本足の蝶』を買った。自殺した女性編集者が死の直前まで綴っていたブログを文庫化したものだ。彼女は25歳の若さでこの世を去った。私と同年代である。

 本と物語を愛していた彼女は、自らが物語の中の理想の女の子として生きることに必死だった。豊かな感性やそれを微細に表現できる言葉の力を持っていて、文章からは不安定な美しさと儚さを感じる。彼女は物語の中で死んだ。同年代だったけれど、私と彼女では見えている世界の彩りや輪郭が全く異なるのだろう。嫉妬しかない。

 

 一年くらい前に、キャストとしてラウンジでアルバイトをしていたことを思いだす。時給は2000円だった。

 同僚で、印象的な女の子がいた。当時21歳で、私よりも二つ年下だった。すらりとした細身の高身長でおっぱいが大きい。小さい顔に長い睫毛で縁取られた切れ長の目、つんと尖った形の良い鼻、暖色の照明の下で艶めく唇をバランスよく収められた圧倒的な美女だった。

 彼女は看護大学の学生だったが、とうてい学生が手を出せないようなマンションの一室で一人暮らしをしていた。高価な洋服や化粧品を身に着け、旅行にもしょっちゅう出かけていた。それでも、毎月の親からの仕送りには一銭も手を付けていないという。自分の稼ぎだけで十分に生活できるかららしい。

 人目を惹く容姿で華やかな生活をおくる彼女に「就職は東京でするの?」と尋ねると、そのつもりは無いと答えられた。

 「だって、東京にはいっぱいいるじゃないですか。そういう子。かわいいとかきれいとか言われるのって若い時だけ、人生のほんのちょと。だから今は、眠りたいし遊びたいけど、こうやって働くんです。」

 年下なのに、私よりよっぽど聡い子だな、と思った。綺麗で頭も良くて、人生最強じゃん。こういう子が看護師やって、医者と結婚するんだろうな、とゲスい考えを抱いてしまった。

 結局私はこのアルバイトを半年程しか続けられなかった。これ以上自尊心を失いたくなかったからだ。このような女の子と並んで、ちっぽけな自分が必死に居場所を確立することに疲れたのだ。

 

 

 夕飯は大学の同級生とお好み焼き屋へ行った。私と同様24歳だけど大学4年次やってる子。ハイボールを飲みながら、就職とか結婚について話した。こういう時間が好きだ。酒飲んで気持ちよく酔っぱらって孤独の塊が解けていくような時間。

 

 だけど、努力しなきゃ人生は好転しないんだよな。こういうのばっかりじゃなくて、日々の努力の小休憩、みたいなご褒美にしてがんばらなきゃ。

 とりあえず、買ったはいいものの放置しているケノンを取り出して、脱毛に励もうと思う。

 

追記

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せっかくだから桜もち食べたよ🌸