映画『ミッドサマー』はホラーではなくホームドラマ

 3月1日。ファーストデーなので気になっていた『ミッドサマー』を観てきた。ネット上では様々な感想や考察が交錯しているが、出来るだけ目に入れないようにしてきた。鑑賞した今も消化不良なところが多々あるが、まずは先入観のない率直な感想を綴ろうと思う。

 

あらすじ(公式サイトより)

家族を不慮の事故で失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人と共にスウェーデンの奥地で開かれる”90年に一度の祝祭”を訪れる。美しい花々が咲き乱れ、太陽が沈まないその村は、優しい住人が陽気に歌い踊る楽園のように思えた。しかし、次第に不穏な空気が漂い始め、ダニーの心はかき乱されていく。妄想、トラウマ、不安、恐怖……それは想像を絶する悪夢の始まりだった。

 

ホラーなのに明るい

 ホラー映画というと薄暗くておどろおどろしい印象だが、この映画は明るく陽気な雰囲気である。祝祭は都市から離れた森の奥地で行われる。白夜のためにずっと晴天で、小鳥がさえずり色とりどりの木々花々に囲まれた自然豊かな地域である。「ホラーなのに明るい」というのも興味を引くが、それだけではなく日常との対比がおもしろい。映画の序盤に描かれる、主人公たちにとっての日常であるアメリカでの様子は、ずっと薄暗く不穏な様子なのだ。

 映画の序盤で、主人公は双極性障害を持っている妹に両親を道ずれにして自殺されてしまう。そんな時に支えになってほしい彼氏は、「自分の頼りすぎ」で気持ちが離れつつあるのを感じている。実際に彼氏は一年も前から主人公と別れたがっているが、優柔不断なために切り出せずにいる。主人公と別れて本来なら仲間内だけで「祝祭」に行く予定だったが、煮え切らない性格と中途半端な情で、家族を亡くしたばかりの主人公を誘って行くことになってしまう。

 

閉鎖的なコミュニティ

 村では75歳になると崖から飛び降りて自害する風習がある。飛び降りても死ねなかった場合は、代表者がハンマーで致命傷を与える。今回は2人の老人が儀式を迎えたが、そのうちの1人に手を下さなければならなくなってしまった。その事実に村人は頭を抱えて呻き、悲嘆にくれる。しかし意を唱える者はおらず、老人は速やかに頭部を砕かれた。

 なんの説明もなしに老人2人が死にゆく場面に立ち会わされた主人公たちは激しく狼狽する。しかしそれが村の伝統であり、皆がその結末をたどる。新たに生まれた児は死者の名前を継ぎ、生命は輪廻する。体力が衰え脆弱化し、尊厳を失いつつある老人を施設に入れるよりも、よっぽど生を尊重し、死を悼むことができる。このような村民の信念や価値観を聞いて、「偏見は捨てたい」とこの閉鎖的なコミュニティに引き寄せられる者も現れる。

 

あえて自然に身を任せる不自然

 村で使われる言語は一人の男によって創造される。彼は精神障害者であり、村民は「無垢」ゆえの穢れの無さを神聖で高尚な価値観としている。

 「彼が死んだらどうするんだ?」という問いに、「近親相姦によってまた障害者を生み出す」と迷いなく答える。それもまた伝統なのだ。

 

感情を皆で分かち合う

 村人たちは、寝るときも食事をするときも常に行動を共にする。主人公の仲間の一人が「どうやってオナニーするんだよ」的な冗談をとばしていたが、まさかのセックスも皆で協力して行われている。

 村の少女と主人公の彼氏の関係性が占星術で相性良いとされるため、村人全員で彼氏を囲って少女と性行為をさせようとする。精力が増強する水を飲ませお香を焚き、少女が待つ小屋へ案内する。

 小屋の扉を開けると、かすかに光の差し込む薄暗い空間で、横一列にずらりと並んだ老若様々な裸体の女性が、一心に彼を見つめる。そして、彼女たちの前に寝そべっている少女が、彼に向かってゆっくりと両足を広げる。異様な光景から目を離せなくなってしまった彼は、彼女に覆いかぶさって行為を始める。背後に並んでいた女性の一人が、破瓜の痛みと快感に眉を寄せる少女の手をそっと握る。

 「あ…あ…」彼が腰を突き入れるタイミングに合わせて、女性が喘ぐ。「あ…あ…あ…」合唱のように、背後の女性たちまでもが喘ぐ。両胸を揉み、腰を揺らしながら。まるで、彼と少女のセックスを皆で共有するように。

 彼氏が大乱交に興じている間、当の主人公は女性たちが引く馬車に乗って村を爆走していた。なんと、主人公は村の新たな女王になってしまったのである。

 促されるままに「競争の水」を飲んで気分がハイになった主人公は、新女王を決定するダンスに参加させられる。力尽きるまで踊り、最後の一人に残った者が女王になる。初めは戸惑いながらも、踊りながら、肌が汗ばみ頬が紅潮し、息が乱れ、笑顔がこぼれる。共に踊ってる女性と、言語の壁を越えて会話を交わす。魂が共鳴し、家族を失ったばかりの孤独が埋められていくのを感じ取っていた。

 最後の一人に残り新女王になった主人公は、大地に種を蒔いて恵をもたらす?みたいな趣旨での爆走から戻った後、彼氏の姿が見えないことに違和感を覚える。

 「あ…あ…あ…」女たちの不気味な声が小屋からこだまする。女性たちの静止を振り切って引き寄せられるように小屋に近づき、鍵穴から中を覗く。中で行われている行為を目にした主人公は、逃げるように離れ、跪き、嘔吐する。そして顔をゆがめて嗚咽し、呻き、泣いた。

 主人公にかけよった女性たちも彼女の真似をするように顔をゆがめて呻き、泣いた。そうなるように自分たちが仕向けたくせに。獣のように共鳴する。

 

結末と感想

 主人公は新女王になり、一緒に来た仲間たちは「祝祭」の生贄となって無残な死に方をした。しかし私が無惨だと思うことも偏見であり、見方によっては高尚な献身と自己犠牲なのだ。

  また、彼氏を生贄にする選択をしたのは主人公である。彼女は女王として村人と魂を通わせることを選んだ。そうすることで、孤独を手放すことができたのだ。

 

 正直に言うと、世間で賞賛されている程、私はこの映画を魅力的だと思えなかった。それは、主人公の孤独からの救済が、洗脳によるものだと解釈したからかもしれない。結末がどうであろうと、彼女が自分自身を奮い立たせ、前を向く姿をもっと見たかった。